〜新宿という街〜 歴史を辿ってみました
新宿は乗降客数は350万人/日と世界一でギネスにものっています。
商売の地としても大きく、百貨店や駅ビルも非常に多くあり、カフェですと、スタバ17店、タリーズ8店(共に2017年時点)あり、それぞれのブランドで最も店数があります。
いつからこのような巨大な街になったのか?歴史を調べてみました。
江戸時代前に、甲州街道の始発点であった日本橋から一つ目の宿場町になったのが始まりで、名称は新宿内藤、場所は今の新宿御苑付近が中心だったようです。
新宿が鉄道駅になったのは1885年、交通手段も馬や徒歩から徐々に鉄道に転換されていったようで、現在のルミネエストの場所に、品川〜新宿を結ぶ電車(今の山手線)が乗り込んだことからスタートしたようです。その後中央線・京王線・西武線といった郊外電車が乗り込むようになり、1923年の関東大震災の影響で、地盤が安定した西部に移り住む人が多くなったようで、昭和のはじめには日本一の駅になりました。
次に、各エリア別です。
<東口>
中心的な通りである「新宿通り」は元々甲州街道だったようで、昭和初期からは新宿の中心的な場所だったようです。今も百貨店売上世界一を誇る伊勢丹や、ルイヴィトンなどのラグジュアリーショップの旗艦店がありますが、当時は代表的なデパートが立ち並び、映画や演劇といった当時の娯楽の場も多く並んでいたようです。昭和初期に建てられた紀伊國屋ビル(東京都選定歴史的建造物に指定)は文化発信の中心の場として存在していたようで、新宿高野は新宿御苑が発祥の地である「マスクメロン」で名を上げたようです。また中村屋は、パン屋としてスタートしており、カレーは昭和2年からで、当初も2,000円程度の高額だったようですが、やはり飛ぶように売れていたようです。
<西口>
新宿西口は元々浄水場だったようです。1978年に当時の高さ31m規制が緩和され超高層ビルが立ち並んでから発展したようです。
<南口>
南口にはルミネやNEWMoman、新宿高島屋が並んでいます。新宿が住所となっているのは、明治通り〜甲州街道〜新宿駅の三角地帯のみ(新宿4丁目)で、それ以外が渋谷区になっています。
<歌舞伎町>
戦後に観光の場として発展を目指したのがスタートだったようです。しかし昭和33年に赤線が廃止して以来、元々遊郭だった今の2丁目から歌舞伎町に流れ込んできたこと、そしてビルオーナーの代替わりがあって街に愛着がなくなったことも影響しているようで、性風俗店が増えていったようです。しかし歌舞伎町・タウンマネージメントという街づくりチームの努力で改善が進み、コロナ前には年間1,800万人の観光客が訪れているようです。
以上、とても端的ですがまとめてみました。
新宿はさまざまな顔を持つ街ですが、歴史を辿って見ると面白さが増してきますね。
次回、他の場所も調べてアップしてみたいと思います。
参考文献:「新宿の迷宮を歩く」 著書:橋口敏男